働き方

文章力に思うこと

文章力も何も、日本人なんだから日本語書ければライターになれるやろ

なんて、言ってたこともあるんだけど、得手不得手というのものはあるらしく、やっぱり差が出るらしい。
いや、差が出ているのか?むしろ、好みというか嗜好というか、文章への向き合い方の問題ではないかと、ふと思った

こういう風にブログを書く時は、なんというか気持ちがこもっている、いや込めることができる。
んで、僕が書きたいことをただ書きたいように書き殴っているだけなのだから、イヤな人は読まなければ良いだけの話しである。
しかしながら、仕事の原稿となるとそうとも言えない。

いや、当たり前の話しなんだけど、そりゃ誰が読んでも良い感じな文章にしなきゃいけないよね。そりゃそうだ。

しかし、そんな最大公約数的な文章に面白みがあるのかと考えれば、「う〜〜ん」とならざるを得ない。

しかし、文章にもきっと、何か普遍的なものがあるのだろう。
芸術作品も同じく、老若男女国籍を問わず、人の心に触れる作品が多々あるわけで、きっと共通する何かがあるのだろう。

文章を書くというのはなんとも楽しいものである。しかし、楽しい文章というのは自己表現や承認欲求を満たした残骸に過ぎないわけで、読んでいただく文章とはほど遠いものかも知れない。
少なくとも、僕の文章は、ほど遠いのではないかなと思うし、良くてリサイクルゴミ程度だろう。

なにせ、ここまで読んでいただいたら分かるように、僕の文章には「ライターなのか?」なんて思うところばかりだ……と思う。できればそんなこと思いたくない現実なんてポイズン。

おっと……。ブログだって人様に読んでいただく文章じゃないかと思うだろうけども、そんなもん知らんがな。
俺が書きたいように書いて何が悪いってんだ。

あ、お仕事の文章はもっとちゃんと書きます!←各位へ。

とはいえ、文章ってのはクリエイティブwww、なものなんだから、やっぱり人によって評価は違う。良い評価を頂けることもあれば、真っ赤なペン入れででどうしようもないどころか、救いようのない原稿ができあがってしまうこともある。

まあ、事実確認がダメだとか、そういう基本的なことは例外として←でもこのまえやらかしました、本当にごめんなさい。
よく分からんところを直されるのはなんとも言えない気持ちになる。

なんというか、自分の文章が否定された気分になるのだ。
いやもちろん、否定されているわけじゃないことはわかる。単に修正、調整しただけなのだ。

おめ〜なんかダメなんだよ!このクソがwww

なんて思いながら校正されている方はいないだろう(いたら教えて下さい。軽く蹴りにいきます)

自分が否定された気分になるのは、無駄なプライドか自信過剰か豆腐メンタルか、何なのかは良く分からないんだけど、どんな文章であれ自己を投影したものになるようだ、私の場合。

つまるところ、一文字一文字書きながら、気持ちやら何やらが変わるわけですよ。書くことは自分との対話な訳でして、最初のほうのパラグラフと今のパラグラフじゃ、もはや書いている人が違うと言って良いくらい、文章から滲みでる何か(があれば)が違うんです。
その何かを私以外の人に修正、調整されると、とても傷つくことがあるのです。

言い換えれば、私はまだ仕事の原稿を客観的に見つめる力がないわけで、主観というか、オレ流的な何かがまだ混じっているのでしょう。
そういう文章でも求められれば良いものの、それはまた別の話。

私の文章力はまだまだということで御座います。